渦巻くもの
2017.6|下園雄輝|高原秀平「メエルシュトレエム」配布資料
「メエルシュトレエム」は、ノルウェーのモスケン島周辺海域で発生する潮流と、そこで生み出される渦潮を指す言葉である。 かつて、エドガー・アラン・ポーは「「A Descent into the Maelström」(邦題:メエルシュトレエムに呑まれて)」の中で、この大渦に呑まれたある漁師の話を描いた。物語の冒頭は、その漁師と一人の聞き手が「小さい崖」の上から、穏やかな海が荒々しい大渦巻き へと変わる瞬間を眺めるところから始まる。独白にも近い語りで、男はかつて自分がその大渦の中に呑まれたことを語りだす。台風により生まれたその大渦は、瞬く間にすべてを呑み尽くし、男は死を覚悟する。しかし、彼は渦の中心へと呑まれるにつれて、次第に恐怖 の感情から、渦そのものへの関心を抱き始める。渦の性質をその眼で捉えた時、男は渦の中に深く巻き込まれていくものとそうでないものの違いを見つけ、樽と共に海に飛び込む。かくして男は生き残り、変わり果てた姿で「メエルシュトレエム」、あのすべてを呑み込む 大渦の記憶を語ることとなった。男をこの世に生き残らせたのは、まぎれもない「観察と想像の間にあるもの」だった。渦に呑まれた彼の頭の中を駆け巡ったいくつものこと。波の音、海の唸り声、一瞬の月の光の美しさと、それを掻き消す現実、走馬灯のような記憶、 仮説と可能性への希望。いくつもの思考が入り混じりながら、男は最善手を導き出した。
渦巻くものは何か? 梅雨空の中、部屋干しのために回る溜まってしまった洗濯物とどこかの海で生まれる台風。同じ海の上でグルグルと回る渦潮と、コーヒーの中に落ちていくミルクの渦。蚊取り線香の渦巻きとその煙の上に見上げた星空の遥か先の星巻く銀河と。
この展覧会は下園雄輝と高原秀平による「渦」にまつわる話である。
下園は、大学卒業後、デュッセルドルフへの留学で相対的に日本という土地への思索を深めていく。気候、地質、景観、自らの生まれた国と遠く離れた場所でペンを取り、象徴的な形の中に文様を反復させた。彼が帰国後に選んだモチーフが雲、雷、竜巻などの自然 現象だった。同時多発的に展開する現象、拡散するイメージを墨、岩絵具で描き荒々しい自然の姿と重ねた。その後、下園は日本という土地の自然環境と、それに伴って生まれてきた自然信仰への関心から「渦」のイメージを抽象的に取り入れ展開していくこととなる。
高原は、油彩画を描くにつれて、遠近の視点の行き来から生じる風景の見方の変化に関心を持つようになった。グーグルマップや、衛星写真などの客観的な「遠い」視点を、自らの視点と重ね合わせながら制作を進めてきた。その中で、高原は二つの視点を一つの 画面に交錯させる方法を確立する。「近いもの」が「遠いもの」に見えること、「遠いもの」が「近いもの」に見えること、雲と煙、天と地、異なる二つのものが渦巻きながら、一つの抽象的な画面を作り出している。
彼らは、自然の生み出すものと、そこから発する「見立て」から制作を進める。下園はかつての自然信仰が、自然への畏怖を神話に込めたように、自然現象から発する物語を絵画の中で生み出す。高原は、異なる二つの風景を混ぜ合わせながら、またその二つの風景 が同時に存在するような新たな風景を生み出す。両者は、「観察と想像の間」を行き来しながら、そこにあるものを見ようとする。この会場に渦巻いているのは、そんな彼らの「観察と想像」から生まれたいくつかの渦だ。遠いもの、近いもの、分かるもの、分からない もの、その間を行き来しながら、彼らは筆を握る。
高原は、グーグルマップや、衛星写真などの客観的な「遠い」視点を、自らの視点と重ね合わせながら制作を進めてきた。しかし、近年はより近視的で抽象的な観測視点へと向かっている。具体的な風景はなくなり、 画面上で新たに生まれる風景へと関心を移すよう になった。絵の具を重ね、時にそれを削り取る。自らの身体で新たに生み出した(画面上の)風景をじっと見つめる。黒い海の中に飛び込みながら、渦が生まれるその瞬間を捉えようとしている。
下園は、日本という土地の自然環境と、それに伴って生まれてきた自然信仰への関心から「渦」のイメージを抽象的に取り入れ展開していった。今回の展覧会では、「渦」のイメージをより根源的なものとして捉え、複数点からなるドローイングを制作している。自然その ものを描くのではなく、そこから影響を受ける人の姿、その心の有り様を描いている。環境という人の外部を規定するものの中で、揺れ動くものを日々のドローイングから見つけ出そうとしている。
いくつかの「渦」を経由しながら、彼らは具体的なモチーフではない「渦」に辿り着いた。「渦」は流れの中で、二つの異なった性質のものが接触するときに形成される。本展では、二人の作家の過去、現在が互いに交錯しながらいくつかの渦を作り出す。二人の作家、 二つの会場、日本画/洋画、ペインティング/ドローイング、過去/現在、東京/関西、遠さ/近さ、水平/垂直。移り変わる流れの中で交わるもの交わらないもの、その間を行き来しながら彼らは進む。 今、渦巻くものは何か? 私たちは、その中心への引力に抗いながら、この世界を生きていく。
インディペンデントキュレーター
本田耕人
※あをば荘 / float の二会場でテキストの後半部分のみを変えた二種類のテキストを配布した。