|観測のレコード|
幾人もの観測者たちが、空を見上げ宇宙を観測してきた。時間を知るために、自分たちの位置を知るために。科学が進むと、衛星から地球を見ることによって、今度は「見上げる」ことから「俯瞰する」ことができるようになった。自分がどこにいるのか、電波さえあればグーグルマップで簡単に知ることができる。でも、それはどこか感触のない座標上の実感みたいなもので。遠いところから見てもなお、僕は自分がどこにいるのか分からないと思う。遠いものと近いものの間にきっとどこかピントが合う地点があって、そこに自分はいるんだろうなと思う。いくつかの観測のデータの重なりの中にだけ真実がある。
生まれて初めて天文台という場所に足を踏み入れた時、そんなことを思った。空を見上げたり、そこにある貴重な観測機器を見たりして、ここはどうしようもなく地上であると思った。宇宙はすごく遠い「何か」だ。望遠鏡で覗かなければ見えないほどの。この天文台は、そんな宇宙を日々見上げる「観測者」たちが集まる場所だ。この場所で展覧会をやることが決まった時、僕らもまた、彼らと同じように「観測」することから始めてみようというようなことを二人の作家と話した。観測の初心者たる僕らは、遠い宇宙についてを深く考えることはできなくても、つい遠いものを見てしまうことについて考えを巡らせることはこの場所で展覧会をやる意味になりえないかと思った。
吾郷佳奈と高原秀平は、遠いものと近いものの間にある焦点を自身の「観測」から探し求めている。
吾郷佳奈は、自身の視点を基準に置きながら、移り変わる「私」と世界の関係図を描く。鏡に映る自身の姿や窓ガラスの外に見える風景をその輪郭線を追いながらペンでなぞる。記録を取る度に揺れ動く像を、その度に何度も書き重ねていきながら、その形を捉えようとする。鏡やガラス、トレーシングペーパー、その透明性の高い支持体に描かれた吾郷の絵画は、描かれたもの以外の侵入を許す。線の集積と現実の世界が重なった時、それは世界を見るための新たなガイドとなる。彼女が世界を観測するために作り出したコンパスは、貴方とこの世界の「誰か」が重なり合うための新しい地図となるかもしれない。
高原秀平は、地図や天気図、航空写真など衛星的な視点から俯瞰して見た図像、または顕微鏡を覗いた世界のような微細な粒の世界をモチーフにした絵画を描く。高原の関心は、遠近のレンズで見えたもの、それ自体ではなく、人が遠く離れたものを見る時の、その視点の「間」にある。何かにピントがあった時、そのまわりにはピントの合わないぼやけた世界が広がっている。望遠鏡(あるいは顕微鏡)を覗き込みながら同時に、そんな世界のことを考える。過剰な距離の先を見るためのレンズを用いながら、その間にあるものを測ろうとしている。焦点距離の間にあるものを拾い集めながら、今日もまた彼はその絵筆で像を結ぶ。
彼らの観測は、あくまで体感的な方法かもしれないけれど、データ的な座標だけでは割り出せない抽象的なものを顕にしようとしている。観測の手法は違えども、見つめ続けることから何かを始めようというところは変わらない。幾年もの観測の歴史を持つこの天文台に、二人の観測の記録が混じりあう。ここは観測者たちの場所。視点も時間も越えた観測のレコードが、今、この場所でまわる。
本田耕人(インディペンデントキュレーター)
|会場マップ|
①④⑤ 吾郷佳奈《lineation(landscape)》2016年
窓の外を覗き込みながら「この場所」の風景の輪郭を描く。描く度に変わる視点の記録が、外の世界と重なる。
② 高原秀平《土の小窓 #1 #2 #3》2106年
一度結んだ像の焦点距離を測り直す。レンズの上に重なり、描かれたそれは、また違う像を結ぶ。
③ 吾郷佳奈《lineation(compass)》2016年
コンパスの東西南北だけを指針にしながら、天文台まで歩き記録を取る。手のひらの上の方角と地をなぞる足で、地図を描く。
⑥ 高原秀平《台風の眼 #1 #2》2015年
閉じ込められた台風。台風の衛星写真をモチーフに、平面に圧縮されたものの中にある見えない空気、距離を呼び起こす。
⑦ 吾郷佳奈《lineation(selfie)》2016年
鏡に映る自分の輪郭を追い続ける。描かれた線はライトによって反射し貴方に重なり、また新たな輪郭線を生み出す。
⑧ 高原秀平《星の寝床》2016年
入れ替わった昼と夜の世界、結びついた二つの場所。明日の太陽を待ちわびながら今はただ眠る。
⑨ 高原秀平《星のモザイク》2016年
プレパラートに挟み込まれた星々の光。太陽の光を受け輝きながら、次の夜を待つ。